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DEAR カール・ニールセン
 〜デンマークに魅せられて〜 2 (「ショパン」 2000年11月号)

 
ニールセンの音楽


「13」が最高点

デンマーク。
ミルクとソーセージとハムレットの国。パンケーキのように平たい国。ヴァイキングの末裔が住まう、おとぎの国──。

デンマークの音楽院の試験制度は、非常にユニークだ。入学、卒業の実技試験の場合、試験官として、学長、副学長、主科の先生が立ち会うのはもちろん、必ず他校からも試験官を招く。ことに入学試験の場合、<担当>の試験官が、国内5つの、すべての国立音楽院の試験を聴いて回る。それぞれの音楽院のレベルを均等に、かつ公平に保つため、だそうである。日本の九州と同じくらいの、小さな国ならではのことだろう。卒業試験のときは、この外から来る試験官を、自分の先生が選べることになっている。

そして、試験の後、コメントとキャラクター(得点)をもらうのだが、この採点法がまた独特で、「13点満点」なのである。紹介すると、「13」が最高点、完璧で、これはまず出ない。そして12がなくて、「11」非常によい、「10」「9」「8」が平均点、ということだが、このあたりから人々は不満足になり始める。「7」「6」ここまでが合格、「5」だと不合格、4がなくて、次は「03」「00」──となっている。下の2つは、「ほんとうにダメでした」という意味をこめて、数字の前にわざわざ「0」をくっつけるそうである。これも「13」同様、学科の白紙答案でもない限り、まず出ないらしい。

ちなみにこのキャラクター制度は、音楽院だけでなく、ギムナジウムから大学にいたるすべての学校に共通の採点法である。人々は、幼少時から一貫してこれらの数字になじみ、泣き笑いしてきているわけで、そのせいかどうか、他人の<数字>にも非常に神経質、興味しんしんである。
オーデンセのシンボル、聖クヌート教会

オーデンセのシンボル、聖クヌート教会。



偶然にして最大の幸運


さて──。
私にとって、その、最初の試験となった、入学試験のときのこと。

出番を待って、廊下に座りこんでいた私に、ひとりの女性が近づいてきた。ふと顔を上げると、その女性はニッコリと笑ってこう言った。
「リラーックス」

知り合いはひとりもいない。ホールから出てきたので、きっと先生のひとりだな、と思っていると、その女性はなおもやさしく話しかけてくる。
「日本のどこから来たの?」
「ホールのピアノは弾いた? 今休憩中だから、少し弾いたら?」
「曲は何を弾くの?」

集中しているとき、私はあまりしゃべりたくないほうなので、必要最小限しか答えなかった。ロクにあいさつもせず、名前も聞かず、さぞ無愛想だったことだろう。それでも何くれとなく話しかけてくる、その女性のやさしさ、気遣いは、身にしみて感じられた。あとで、終わってからもう一度話したいなあ、と、そのときは思ったのだが──。

思えばそれが、ロザリンとの出会いだった。

イギリス人のロザリン・ベヴァンは、幼少時には天才少女としてその名を馳せ、卒業とほぼ同時に、母校ロンドン・ロイヤルアカデミーでピアノとクラリネット(!)の助教授として指導にあたっていたという。現在はピアノ・オンリーで、私は知らなかったが、演奏会や指導のため何度か来日している。人生の半分以上をデンマークで暮らしているロザリンに、のちに、なぜデンマークに来たのかと尋ねると、「ここのほうがロンドンより、もっと<音楽>があるから」と言って、穏やかに微笑んだ。

ディプロマ・クラスの1年間、ソリスト・クラスの2年間を、私は彼女のもとでピアノを学んだ。ニールセンはむろん、デンマーク現代音楽のスペシャリストと言ってもいいロザリンとの出会いは、私にとって、まさに偶然にして最大の幸運であった。



ニワトリ!?

最初のレッスンで弾いたのは、ニールセンの『組曲』、別名『ルシフェリアン』とも呼ばれる、彼のピアノ曲中、もっとも大曲とされる作品である。アルトゥール・シュナーベルに捧げられたこの曲は、6つの性格の異なる楽章からなり、強烈なリズム、半音階多用のデモーニック(悪魔的)なムード、その中に妖精が飛び回っているような、あるいは妖精のため息のような、美しい楽章がはさまっている。パワフルかつ繊細、ドラマティックな、『シャコンヌ』と並ぶ私の気に入りの曲である。そして、タイトルの『ルシファー』──<光>を意味する言葉だが、同時にそれは、地上に落ちた反逆天使の名でもある。もと光の天使、慢心のため地上に落とされた魔王ルシファー──曲の雰囲気とも相まって、楽譜を見ているだけでイメージがふくらみにふくらむ。

で──私はそのように弾いた。弾き終わってのち、先生はというと、ちょっと途方にくれたような表情で、窓のほうを見ている。ややあってから、
「そんなにキレイに弾かなくていいのよ、ニールセンは。もっと平らに、平らに」

「もっと平らに」と「何もない美しさ」。最初の頃、よく言われた言葉だ。「何もない美しさ」──それはもう、演奏の極意とも言える領域ではないか、と私などは思うのだが──。
「それと、ここはニワトリなのよ。ニワトリの鳴き声」
「……ニワトリ?」
「聞いたことある? こういうの、コーッコココココ……」
「……」
「ニールセンはよく使ってるのよ、ニワトリの鳴き声」

私はアヤしくも美しい堕天使の世界から、一気に現世につき落とされた気がした。の、だが──そう思ってみると、たしかに……。

田園生活をこよなく愛したニールセン。きっと庭にはニワトリが群れつどい、その鳴き声を、日常のように聞いていたことだろう。

その、ニールセンは、作品の解釈を、演奏家の自由にまかせるタイプの作曲家だった。注意書きでもわざわざことわっている。「これは『こう弾くこともできる』というもので、『こう弾くべきである』というものではない」。そしてもう一度、「もし、私がピアノ奏者だったら、このように弾くであろう」として、いくつかの指示をあげている。もちろんそこには、堕天使の髪のきらめきだの、ニワトリの鳴き声のように、だのとはないわけで、ごく簡素な指示だけである。

と、いうことは、どちらにしてもケッコーなのだが──あまりの例えの妙が忘れられない、一エピソードである。
聖クヌート教会内のパイプオルガン

聖クヌート教会内のパイプオルガン。




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